心・食・体

その他

◇ (古典を)学ぶ意義•••••• 日常生活・社会生活の中において、つまり、今居る場所で、すべき事に取り組みむことで、自己の実現と自己発展することが、自分のためであり他のためにもなる。

その前提として、政治・経済・思想・教育…人間の思想や哲学には、今までになかった新しいものは何もない。歴史は繰り返すと言う通り、その根本的な要素は「論語」「孟子」「史記」「言志四録」等古典にことごとく書かれている。
私達は絶え間ない創造を繰り返しているが、それは不変なるものから時代や社会、環境に応じた絶えざる変化だ。

例えば、「易経」はこれを徹底して説明している。朱子の書物を読むと「易」に三義ありと言い、易はまず「変わるもの」であり、変化の根底には「変わらないもの・法則」があり、また「単純明解なもの」であると説く。
変化の底には不変のものが流れているから、変化に徹すれば、必ず不変なるものに到達する。 その不変なるものを、古典や歴史…例えば易経を含めた四書五経等を通して会得する。そして実践を重ね、人物から学ぶ。
私達は学びながら飛躍する。

深い根っこを養うために古典や歴史を学び、太い幹を養うために人物を学び、
豊かな枝葉を繁らせるために専門知識や技術を学び、
そして、多くの実花を実らせて、次代へつなげていく。

「学ぶ」ことの意義は、修養を通じて、その人格を強く深く豊かにしていくことにある。

◇ 合宿稽古•••••• 勲章は「勇気に!」

1.稽古で鍛える拳から、何を学ぶのか?…人生に対する姿勢

2.合宿が始まる…道路の右側を歩くのも、左側を歩くのもOK。しかし、真ん中を歩いていたら、車に轢かれる。合宿も同じ。参加するもいい。不参加もいい。しかし、中途半端にやると、大きなものに轢かれる。 中途半端が一番悪い。

3.約束事…拳法を教える側と習う側。質問は受け付けない。やり遂げること。

稽古
4.受け(単独)…イメージ、日常の動きで稽古、形
•イメージ…手本をよく見て思い浮かべる
•日常の動きで稽古…作務(床磨き)、上着を着る、靴紐を結ぶ、ボートを漕ぐetc.
•形…呼吸、重心、バランスを大切にして、集中して、力を入れて行う

5.受け(相対)…相手から目をそらさない。力を入れる。呼吸。気迫。

6.バランス…自然の理
川、海の中。ボートの上。柱の上。ロープの上等で、受けの稽古。(…稽古を重ねていく)

7.突き…全身で突く。全身の力を拳の先に集中する。呼吸。気迫。

8.座禅…心を波の小さな水面のように。心と感覚を広げる。集中。

9.蹴り…全身で蹴る。全身の力を前足底に集中する。呼吸。気迫。

10.柔法…触れた場所を通じて、相手の身体の動きを制する。 イメージ、数、数、数。

11.自主稽古

12.不安定な場所で、受け、突き、蹴りの稽古(集中力、気迫、体幹のバランスを養う)。

13.座学…解剖学、心理学、物理学etc. スポーツ科学のような、身体をパーツに分ける思考は重視しない。

14.反省…集中力は?言葉が多すぎないか?心を敵にまわしてないか? 最後に頼れるものは、己の負けじ魂。心。自己への信頼。

15.ご褒美…打ち上げ、遊び

16.試合、組手、乱取り

17.浮かれない…賞状、免許、メダルを持っても、それが己の目耳頭手足の代わりになるわけではない。

18.打ち上げ…BBQ 合宿終了

◇ 喧嘩の仕方•••••• 喧嘩はしなくて済むなら、無理にする必要はない。

喧嘩になる前に考えることがある。
→原因は?喧嘩以外の方法は?このままだとどうなる?その時自分はどう考えて行動する?
…時間が経てば経つほど、選択肢は少なくなり喧嘩せざるをえなくなる。

<喧嘩の契機>
•大切なものを守るために他に方法がない時 •どうしても避けられない時
•義を通さざるをえない時

<喧嘩のルール>
•弱いと分かる奴は相手にしない
•まずはこちらが頭を下げること(2度)
•相手より多人数でやるな •相手が降参したらやめる
•冷静さを失わない

<喧嘩の公式> 喧嘩は物理。
喧嘩の強さ
=気迫(スピード×筋力×技術×体力)

•気迫…力強く立ち向かって行く精神力、根性、負けじ魂
→強い心を持つ…言葉でどんなアドバイスをもらっても効果はない。
1.「強くなる!」と言い聞かせる。
2.厳しく鍛える。人の10倍も100倍も努力すること。自分で決めたことをやり抜く。
3.根性をつける…自分にとって嫌なことに取り組み、成し遂げる。最後に自分を支えるのは、己を鍛えて見につけた根性。
相手が4〜5人なら、人数のうちに入らない。

•スピード…整体動作(複数、同時、協調)
•筋力…筋トレ、日常動作
•技術…状況から生まれる
※シンプルに考えることを忘れると、本質から外れた些末な技術論に陥る。
技術はあくまでも公式の「一部」である。技術を極めることは、喧嘩に負けない事と同義ではない。
•体力…持久力

<急所>
•金的…蹴り
•人中、鼻…胸ぐらを掴んで下から頭突き
•目…目打ち
•水月…突き、蹴り
•太腿部横…膝蹴り
•横三枚(右)…回し蹴り
•喉…突き •顎…頭突き、突き
その他。

<鍛える1.> 自分を甘やかさない
身体
•全力疾走…50mダッシュ20回〜200回程度
•柔軟体操…身体との対話
•指立て伏せ…握力増強
•腿上げ…腸腰筋
•背筋
•スクワット
•急所に確実に当てていく突き蹴りの稽古
•喧嘩のシミュレーション
その他。

<鍛える2.>
身体
•動きの基本(身体を整える)…仕草、姿勢、重心、呼吸
•整体動作…多くの筋肉を同時協調させて使う


•知識…解剖学、生理学、心理学等
•思考…分析、客観的視点、創意工夫、臨機応変、課題を見つける
•勝負の要諦…軸、間合い、一体感、気配を消す


•坐禅…心を整える
その他。

<鍛える3.>

→義、勇、仁、礼
→生成発展、自他共栄

そのうち、喧嘩相手ではなく、自分の目標の達成に力を注ぐようになる。相手と自分との違いを認め、忍耐と寛容さで応じられるようになる。
強くなってくると、周りに優しくなる。
そして「赦す」力の大きさに気付く。
事実を忘れることは無いが、赦すことが出来なければ、心はいつまでも過去に囚われたままになる。その心が自分を縛り、考えも行動も縛っていく。
自分で心に壁を作れば、発展•共栄の未来は厳しい。

結局、最大最強の喧嘩相手は、甘く傲慢な「己の弱い心」。その心に打ち克つ戦いの中で、自分の目標に目を向け、大切なものを守ることに力を尽くしていく。

◇ 道場、合宿での稽古とは、•••••• 努力し尽くすこと。

倒れても、まだ立ち上がれる体力、歩ける体力、気力が残っているうちは、努力し尽くした稽古と言えるのか?
倒れても、不思議と何度も何度も立ち上がれてしまう。「努力し尽くす」という己の限界は、ずっとずっと遥かに遠い。

気力が無くなったように感じたら、辛いと感じたら、そんな己自身を忘れて、身体と頭を動かし続けろ。

努力し尽くした稽古で何かを成し遂げた人達は、体力も気力も使い果たして立ち上がることもできなくなる。

もし、座る力さえ無くなったら、気力で帯で自分を縛り、座り続けて稽古を続けるもの。

辛いとか、無理とか考え始めたら、それを忘れて…努力してみることだね。

合宿が終わって道着を脱いだら、「稽古」を、「仕事」や「勉強」に置き換えてみよう。

◇ 技術や学問を生涯の友とする極意•••••• 「今に集中!」の連続性こそ極意。
それは「日々の研鑽」。 物事を極めるための極意とは、「今に集中」し「日々の研鑽」を怠らないこと…だった。

孤独になってはいけないが、時に孤高であることは必要だ。そんな時、極めていく技術や学問それ自体を、生涯の友とするための3つの姿勢の提案。

1. 探究心•好奇心を忘れないこと
2. 決して諦めないこと
3. いつでも遊び心を持つこと

※ 技術•学問(物事)を極めるには、「今に集中」し「日々の研鑽」を怠らない。

※ 技術•学問(物事)を友とするには、「探究心•好奇心」「諦めない」「遊び心」を忘れない。

◇ 物事を極めるための極意•••••• 秘伝は、…ない。というのがFEGの答えだ。「秘伝がある」という言葉は、人を惑わすための誘惑でしかない。
言葉や巻物に封じ込めることなど、できるはずもない。

「極める」とは、繰り返し繰り返し、気付きも技術も感覚も更新し続け、更なる高みを求めていくもの。ゴールとは、止めた時に立っている場所でしかない。

FEGでは「今に集中!」と伝えてきた。それこそ、物事に取り組む姿勢そのもの。

更なる高み、強さを目指すならば、物事を波のような変化と捉えながら、それを連続させていかなければならない。
「今に集中!」の連続性こそ極意。

それは「日々の研鑽」となる。

物事にはコツ(骨)、リズム(拍子)、タイミング(間合い)等がある。
どれも、当たり前のことだと思うだろう。
でもそれを体現するには、「今に集中」した「日々の研鑽」を、長年積み上げていくしかない。

※…物事を極めるための極意…
「今に集中」し、「日々の研鑽」を怠らないこと。

◇ 運命論?•••••• 人の生き方は運命によって決まっている…という考え方がある。運命論だね。それが本人にとって意義ある考え方なら何も問題ない。
…で済まそうとしたら相方が絡んできたので、向き合った。

…俺はね、運命っていうのは「何本もの横糸」で、そこに努力っていう「縦糸」を通して織物を織っていくというイメージを持ってる。

悲惨な横糸(運命)であっても、努力を継続していくと、縦糸(努力)が伸びてゆき、新たな横糸(運命)にぶち当たる。その繰り返しの中で、
その場その場で主役を演じてゆけば、過去の織物は全て美しいものだろう。あいつの縦糸は自分よりすごく太いって?
それは、そいつが熱意を持って打ち込むものを持っている証だ。

新しい横糸に出会うべく、努力を継続していくことで、美しい織物が大きくなっていく。その織物は自分じゃなかなか見えないが、
たくさんの人の心を楽しませ、清らかにし、高めるに役立つものかもしれない。 そうなったら、その人の人生は芸術だ。

主役を務めるには、周囲のキャストに対し、責めるより許すことに重きを置くことが条件になる。自分には100点主義でいいが、
周囲には30点出してくれたら感謝していけよ。

…ってニュアンスの話を、「運命だから是非もなし」って言ってる優秀な男と、酒飲みながら話してる。
「それはお前個人の考え方だろ」…と言って噛みつこうとしてるが、…そんなの当たり前やん 笑

今、30分近くトイレから戻って来ない彼は、大丈夫だろうか…ビールの代わりにウイスキーで乾杯したのがまずかったのだろうか…

                      続く?