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■漢
 私たちの掲げる「成長・共栄・調和」とは、今の繁栄をどう延命させるかではなく、新しい未来の開拓です。人間を創れなくなってしまった今の社会を変化させていくことです。それはクーデターを起こすということではなく、義・勇・仁・礼を肚に据えて、心技体を鍛え、学び、自分とその周囲を明るく灯していこうという「脚下一燈」の活動です。「誰かが何とかしてくれる」という、人任せで過保護な思想に浸り、先人達が築いてきた「今」を享受するだけでは、未来は衰退していきます。学び、鍛え、主体性を発揮して、今日を一歩一歩築いていかなければ、未来は夢物語でしかありません。変化を恐ることなく、忍耐強い獅子(漢)となって今を生きることが大切と考えます。

■挑戦と応対(陰陽の調和)

 それには、私たちひとりひとりが、科学文明や物質文明の発展に寄与しながらも、精神文明の構築と、人・物・金・情報・社会や環境との関係性をどうするか、改めて考える必要があるのではないでしょうか。 ややもすれば、私たちは、情報や環境等の外的要因に流されがちになります。しかし、自らの内にある志・夢・目標・感激・矜持等が主導権を握り、外的要因に適応・応対していくこと、つまり、主体的に外的環境に適応・応対していくことが大切と考えます。

■原点回帰(創造化成)

 モノや情報に翻弄されて、便利さや安楽を求めて日々を過ごすだけでは、どこに辿り着くかわかりません。 そこで有用なことは、原点に戻るということです。原点とは何か。それは「他よりも努力すること」です。「彼十の努力なら、我百の努力あり」です。論語にも「性相近し、習相遠し(一般的に、人の生まれつきの能力の差異は大したことない。しかし、学びと実践により、実力に大変な違いが生まれる)」とあります。「他よりも努力すること」、成長・共栄・調和という理念に向けて強く進むための原点です。

■稽古≒各種研究会≒定例会
  周知のように、「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」という言葉があります。ネズミも絶体絶命の境地に追い込まれれば、自分より強い相手に対しても決死の反撃に出ます。しかし、ネズミが凄んでも猫から見ればただの美味そうな獲物です。また、猫が凄んでもライオンには可愛く見えるかもしれません。そして、百獣の王と呼ばれるライオンは、一匹のウサギを獲るにも全力を尽くします。 克己練磨して義・勇・仁・礼を肚に据え、多くを学びながら志を立て、和する時は和し、譲る時は譲り、闘うべき時は闘える「獅子(漢)となること」。それが私たちの稽古や各種研究会の目標です。その上で、「獅子(漢)として社会に寄与していくこと」が、私たち組織の存在意義であります。