道場法話 2018年度 4月


第433話◇勝つために?(2) ••••••
だから、その勝負に勝っても負けても引き分けでも、まずはその機会を作ってくれた全て(敵、味方、関わった人、環境等)に対し、「感謝」。

その中で、
相手に対して「敬」を、己に対して「恥」を感じることもあろう。
己の成すべきことを為せたかどうか、己を「省みる」こともあろう。


そして、勝負の結果を堂々と威厳と謙虚さをもって受け止める。


その後、…次を作れるなら、
次を見据えて己を前に進めていく。






第432話◇勝つために? ••••••
「勝つこと!」を目標とすると、「勝ちたい」という自分の希望になるものばかり集めてしまいがちになる。

しかし、「希望」をいくら集めてみても、それは「戦い」と「勝ち」の因果関係を繋ぐ筋道にはならない。



私が求めるものは、「勝つこと」とは少し違うのだ。
求めるものは、いい勝負を作り上げること。

だから私は、勝つことを望んで勝負に挑むわけではない。

今の自分の最高の「造化」を、堂々と勝負の中に顕現させるために勝負に挑む。
勝つという結果を求めるのではなく、勝負の終始本末を見極め、その時その時に己の成すべきことを為すことを求める。

結果は、行為の延長に現れるもの。
それは自分で決めることではなく、勝負そのものが決めること。時が決めること。


造化の「理」を会得し、筋道を立て、タイミングを見極めて、己の心・技・体・知・徳を堂々と発揮する。


人がやれることは「人事を尽くして天命を待つ」、つまり「その時その時に己の成すべきことを為す」だけである。






第431話◇嘘(2) ••••••
しかし、人が虚飾を塗り重ね、もっと我欲を満たそうとすることも、
そもそも人間が「造化」の一部であり、その造化は「永久不慊」という「現状への物足りなさ」を常に感じ、理想へ向かっての絶えざる創造と変化を顕現しようとするはたらきである以上、人間の本性の一つである。

造化という道の心(誠)は誰もが備えている。また、我欲を満たそうとする私心も、誰もが備えている。
自己の心には、「道心」「私心」の二つが共存している。

常に在る「物足りなさ(永久不慊)」こそが意志の始まりであり、私心を道心に近付けるかどうかの努力は、本人の意志によるしかない。


「造化」の何億年という絶えざる努力・はたらきが万物を生み出し、そして人間に到ったことを考えてみれば、
人間が生み出す「嘘」に対しては埃を払うよう接しながらも、人に対してはもう少し慈悲深く温かく接すること。
それが、人の道というものだろう。


自分に返り、
「自分はどう在りたいか」
「そのために己が成すべきことを為す」
ここに集中する。

様々な嘘に翻弄されるのではなく、嘘は吹き飛ばすか喰らってしまい、全て己の経験とし栄養としてしまうことだ。






第430話◇嘘 ••••••
テレビをよく観るだろうか。
「お天気コーナー」以外のほぼ全ての番組は、ニュースでもドキュメンタリーでもバラエティーでもドラマでも、画面に映るものは全て虚構である。

スポンサーやプロデューサーの意向に沿うように、情報の送り手側にとって有益に構成・演出されて、流される。

映像や音声や情報を逆算し、そこに己の想像力と洞察力・観察力を加えて深く分析しなければ、嘘に流される。

要するに、メディアやネットから溢れてくる情報は、ほとんど嘘である。
特に、自分発信のSNSは虚飾の塊のようなもの。その嘘を理解した上での「嘘ごっこ」で「いいね」とやってるなら問題ない。

しかし、これがバーチャル(嘘ごっこ)じゃなくリアル(現実)の生活の一部になってしまっているとしたら…、問題である。


リアルというのは、目の前の具体的な現実のことである。視覚や聴覚だけでなく、五感全部で感じられる。

現実とは、「いいね」が100ついたというのではなく、今目の前に100人いるとして、その100人を「いいね」と頷(うなず)かせる話なり表現なりができるということ。

現実とは、美味しそうな食べ物の写真をSNSに投稿するのではなく、家族や友達と一緒に食事を作ってワイワイ楽しんだり(喧嘩したり)すること。


メディアの中の世界は虚飾である。
バーチャルにリアルを侵食されていいのだろうか。
現実99%、バーチャルは1%の比率くらいが丁度いい。笑






第429話◇実際にやる ••••••
「理解」とは、自分の経験を通しての気付きや閃きのこと。

だから、実際に「やる」。
バーチャルではダメ。

「やってみろよ」と言うと、「つまらない、面倒臭い、疲れた、眠い」等と言って、頭の中だけで勝手に結論出してしまう人がいる。
そんな風に物事を考える人は、気分が落ち込みやすい。

当たり前だよ。
頭の中だったり、バーチャルだったりするのは、実際にはしてないわけだから、リアルの醍醐味はない。それじゃ、あんまり面白くない。面白くない、つまらないなら、気分は落ち込んでいく。

「やることがない、つまらない」のは、自分の主体性・創造性を発揮していないから。


頭の中でイメージを描いたら、身体を実際に動かしてやってみる。目の前のこと、何でもやってみる。
そこに椅子があるなら、その椅子を何とかして、面白くしてみろよ。
座ってるだけじゃなくて、その椅子の脚一本でバランス取って立たせてみるとか。笑

実際にやってみる。
そこから、いろんな試行錯誤や創意工夫、様々な物事や人々との結びつきや機会が生まれ、面白くなっていく。色んなことが分かってくる。


外からの情報や他人の経験やデータに縛られて、分かった気になってる場合じゃない。
バーチャルの経験しかないのに、実際にやった気になってる場合じゃない。



気分が落ち込みやすい人は、バーチャルから離れてリアルに徹する。暇な時間を作らないこと。主体性・創造性を発揮して。


皆が「つまらない」と言うことでも、
「私だったら面白くできる」と言って、色々やってみる。






第428話◇受け継ぐ… ••••••
受け継ぐとは、名前と形を引き継ぐこと…。
そんな単純なものではない。

受け継ぐというのは、先人たちが築いてきた歴史を背負い、守り、実践し、自らもまた新しい歴史を築いていくということ。

だから、目の前の目に見えるものを大事にして発展させようとする志や目標だけでは、残念ながら不十分である。


また、受け継ぐ時は下手すれば内部紛争に発展しかねず、その結果、組織が分断しないとも限らない。
それを避けるためには、皆を納得させる技量の高さと、伝統や歴史を自在に行き来できる思慮深さ、そして、例え争いが起こってもビクともしない穏やかな強(したた)かさが後継者には求められる。


組織の「心」を受け継ぐとは、
理念・歴史・伝統・精神・文化を継承すること。

組織の「形」を受け継ぐとは、
学び、守り、実践し、新たに創造していくこと。


己を慎む。
浅はかなのが一番いけない。






第427話◇天邪鬼という武器はいらない ••••••
真面目で優しくて、だけど道理や己の誠や志が弱い人ほど、何かあると天邪鬼(あまのじゃく…ひねくれ者)になりやすい。


天邪鬼な態度をとる人の中には、我儘を周囲に押し付けちゃダメだと自覚してる人もたくさんいる。

その人たちは、「我儘」と「素直」を同じものだと勘違いしているかもしれない。
「我儘」は、私利私欲のため。
「素直」は、造化を具現化していくため。
我儘と素直は違う。

しかし、そのような認識はない。
そこで、せめて我儘を抑えるために、天邪鬼な態度をとる…。ほんとは優しい人だから。

ただ、その態度は、己の誠・素直さ・優しさに蓋をし、素直になる勇気にも蓋をしてしまう。


道理に照らし合わせれば、己の誠に返ること、素直になること、己の志義を立てることこそ、私利私欲に打ち克つ武器になると分かるはずだ。


あなたが真面目で優しいのは、十分皆に伝わっている。
あとは、道理や志義を会得して、素直な自分に返ること。
体得すべきは素直になる強さ。

そこから自分を積み上げていく。

そろそろ、天邪鬼という武器は手離す。






第426話◇大人と子供 ••••••
子供は、
ひとりで全てを背負い込む。
「話してみろよ」と水を向けても、意地でも喋らない。


大人は、
円熟した者ほど、人を信頼して甘える術を心得ている。
大人ほど、甘え上手であり、

そして…人たらしである。
だから、一度会ったら相手の顔と名前を覚えるのは当たり前のこと。


もし、
大人が礼儀を弁(わきま)えていないなら、
子供が礼儀を覚えないのは当たり前。


どんな国でも、大人は、子供の手本であり理想であるべき。


…大人は大変だ。






第425話◇何色に塗り潰す? ••••••
「己の志義に順い、己の成すべきことを為す」ために、「東洋思想」をベースに学び、精神的な骨格をつくる。
そして、その骨格を養いながら、各々が成すべき事業にお互い協力・援助しながら邁進していく。

骨は外からは見えない。「見えない」という意味では、造化のはたらきや道理は、存在しているが無色であり形も固定化されていない。

自分の学びや経験からの「気付き、閃き」で形をつくり色を付けていく。
それは、ひとりひとりの個性や特質に根ざして、道理や原理原則を条件や環境に応じて具現化していく努力そのものである。

己の骨格さえシャン!としていれば、どんな学びも経験も、己の骨格を力強く支える筋肉等になって、ますます生き生きと自己を表現し、社会の進運のために貢献できるようになれる。


…そう考えると、
「造化」への道の三原則は、
1.物事や人間の道理を明らかにすること
2.自己を確立して志義に順うこと
3.自他の共栄を図ること
である。


その基準は、損か得かではない。
善か悪かでもない。
誠か邪かである。


己に問うべきは、
己の志義に照らし合わせ、

「己の成すべきことを為しているか」

だけである。






第424話◇相棒 ••••••
自分のモノを大切にしているか。

その内実は、値段の高い安いではない。

執着や固執とは少し違う「愛着感、一体感」がどれだけあるかどうか。
愛着…、愛とは、
お互いを縛るのではなく、お互いに仕え合い、協力・援助しながら引き立て合って輝かせること。

どれだけ愛情を持ってお互いを活かし合おうとしているかどうか。手放すなんて考えたこともない。
それが、相棒。一生モノ。


街の中にも、人の持ち物の中にも、その相棒感というものが滲み出ているモノに出会う時がある。
そんなモノを見ると、訳もなく嬉しくなってしまう。尊敬してしまう。


モノだけじゃなく、人に対しても同じ。

相棒であるモノを持ち、友達や家族をこよなく愛する…そんな男は大好きだ。笑


…なのに、大事にされているものを汚されても、文句一つ言えない男がいる。

そんな男は、相棒と親しむのが足りない。

「大学」の三綱領の一つ、「民に親しむに在り」を忘れているよ。笑


相棒と親しむ。
お互いを輝かせるのだから。






第423話◇私たちの移動速度 ••••••
人間は全速力で走ると、10m/s(36km/h)。
車で高速道路を走って28m/s(100km/h)。
新幹線で83m/s(300km/h)。


私たちは地球の上に乗っかっている。

地球の周囲は約4万km。それを約24時間で1回転するから、赤道付近は463m/s(1,666km/h)で回っている。

札幌あたり(43°)で、340m/s(1,225km/h )。
丁度マッハ1。
東京くらいの緯度(北緯35°)だと、380m/s(1,368km/h)。
奄美大島(22°)では、420m/s(1,500km/h)。

私たちは、超音速で移動してる。


地球と太陽の距離は約1億5000万km。
地球の公転軌道の長さは約9億4200万km。
それを1年で周るから、30km/s(10万8,000km/h)くらい。一日に260万kmの距離を進んでいる。

さらに、太陽系は銀河系の中心から2万6,100光年くらいのところを、2億年かけて回っている。
245km/s(88万km/h)くらいで移動している。

さらにさらに、太陽系の属する天の川銀河は、600km/s(216万km/h)で宇宙空間を移動している。
一日(24時間)部屋に引きこもっていても、5,184万キロも移動している。

さらにさらにさらに、宇宙空間自体が膨張していて、その速度は1,000km/s(360万k/h)。
そのスピードで移動すると、東京から北海道や九州まで、それぞれ1秒。
東京からニューヨークやロンドンまで10秒。
赤道一周40秒。


地上にいたら、全てがその速さで動いているから速度は体感できない。
何も動いてないみたいだけど、実はとんでもないスピードで私たちは動いている。



そして、宇宙には銀河の数が2兆個あると言われている。
そしてそして、「この宇宙もまた、もっと大きな宇宙の一部ではないか」や、「宇宙も沢山ある」という説もあるようだ。

そしてそしてそして、その他の捉え方も全て人間の想像力を超えるものではない。

想像力は、私たちの中にある。


宇宙の膨張速度より速く移動するには、今のところ想像力を使うしかない。


想像力は、私たちひとりひとりが持っている、とても強力な武器であるのは間違いない。






第422話◇稽古に「大学」を使う ••••••
ダンベルを持ったまま、「突き」の稽古。

技とは、技術と信念である。
技術の部分は教えられる。
しかし、信念はその人次第。

信念はどうやって鍛錬するか。


例えば、四書のひとつである「大学」の「八原則」を当てはめて見る。
根本に遡れば、「経書」も「武道」も変わるところはない。
だから、当てはめられる。

「大学」の「八原則」は、三綱領の「至善に止(し)する」を受けて、
1.「止する」ことを知りて
2.而るのち「定まる」あり…と始まる。

稽古中、「その心でいいのか」「それが己の義か」「それが己の誠か…」と、心のあり方を常に自らに問う。
その拳に、己の義が宿る(至善に止する)と確信したなら、習得した技(突き)がよく「定まる」ようになる。

3.「定まって」而るのち「よく静か」なり。

形が定まれば、重さなどは既に消えている。ガサガサと半端な音は無く、「ビシッ!」と音も定まり、凛とした静けさが出てくる。

4.「静か」にして而るのち「よく安んず」。

動きも心も凛とした静けさに至ることで、心は安らかになり、純一になり、錬成されてくる。

5.「安んじて」而るのちよく「慮(おもんばさか)る」。

心が純一に練られていくことで、物事は偏見や打算なくクリアに見える(慮る)ようになる。

6.「慮りて」而るのちよく「得(う)」。

物事がクリアに見えるようになるということは、己の心が「至善(義・誠)」に到達している(得)ということである。

7.物に本末あり。
8.事に終始あり。先後するところを知れば則ち道に近し。


こうして、誰よりも強くなる。
道を歩いていく。
志を成し遂げていく。






第421話◇背筋をシャキッと(孟子) ••••••
孟子は、人間には三段階(下等・中等・上等)あると説く。

⚫︎下等…義に合わず、信ならず、果ならずの徒。妄人。
⚫︎中等…信を必とし、果を必とするが、必ずしも義に合わざるの徒。游侠の類。
⚫︎上等…信を必とせず、果を必とせず、ただ義あるところに従うの人。大人。

大人の心は「至誠」。

従って、人の目や流行に流される必要は全くない。批評などどうでも良い。己の道義、志(理想/目標)を立て、己の誠に順う。


「まがい物の礼儀」を、非礼の礼・非義の義と言い、
「大道」という根本を明知していないと迷い込んでしまう。
自身がいかに善意であり誠意を尽くしたとしても、己の道義の根本が立っていなければ、非礼・非義に陥ってしまうことは少なくない。

だからこそ、普段から道理を学び、己の精神を鍛錬陶冶することを大切にする。
根本を立てることを第一とする。

そうであれば、順風満帆の時に最善を尽くすとこは当然であり、そこを取り上げる必要はない。
逆境の中にある時の、その人の態度こそが重要であり、そこに根本が立っているかどうかを見ることもできる。

これには、平時における精神の練磨が欠かせない。
毎朝の稽古、毎晩の学問が大切な所以である。



己を活かす言葉(己の志義・道義等)は暗記・暗唱し、
志義・道義に順(したが)った行為こそを己の拠り所としろ…と、
朝から孟子に喝を入れられた気分になった。






第420話◇本(もと)を立てる ••••••
「妙な遠慮などしなくていい。隠したりせずに、堂々とやりたいようにやったらいい!」
その通りなのだ!


しかし、その前に身命を投げ出すに足りる志(理想や目標)を見出していなければ、あちこちでちょっと面白いものを探してウロウロするだけだ。

志を見出すには、自分の才能や特質、生まれながらの持ち前(性)を自覚して、それを開発鍛錬していかなければ、誰かに流されて漂流しかねない。

自分の性(生まれながらの持ち前)を自覚するには、自分の真心・素直・誠等に返らなければ、甘さや幼稚さが前面に出てしまい、自分を見失いがちになる。

自分の誠に返るには、人道や道理を弁(わきま)えておく必要がある。


だから、道場でも「東洋思想」を学んで道理や人道を重んじて、甘さやいい加減な態度を一掃し、「自分は何ができるか」より前に「自分は何であるか」を明らかにし、志義を立てて、そのために必要な技術や知識を身につける。


道理を明らかにし、
真心・誠に返り、
自分を把握すれば、
志は掲げられ、
進むべき道は自ずから生ずる。


本(もと)立ちて、道生ず。
本(もと)立たなければ、取っ散らかる。

昼間は己の道を歩む。
夜は本(もと)を確認してみる。

だから、夜は道場(道を確認する場)に稽古しに来るのでしょう?笑






第419話◇勝負は時の運 ••••••
殷の湯王は、毎日の沐浴(体を洗う)の盥(たらい)に自戒の銘を刻んでいた。
「苟 日新 日 日新 又 日新」。
苟(まこと)に日に新たなり、日々に新たなり、又日に新たなりと。

人は、時々刻々に変化して進歩発展していかなければならない。

小さな我欲のために変革を恐れ、変革を拒む者がいる。それが、自分を臆病な弱者にしてしまう。

それは自分自身への大きな罪ではないか。


今日も新たな一日を始める。

今が最高だと思っても、どん底だと思っても、いずれにせよ此処がスタート地点。
ここからが今日の勝負。

目指すものは掲げているか。


…それはくだらない意地だろうか?

しかし、己が決意した意志も通せず、他人に助けられて信念も誇りも失ってしまったら、もう男としては生きてはいけない。


決断から逃げない精神力と
戦う意志は強く持ちたい。

勝負は時の運だとしても。






第418話◇分かってないのに… ••••••
道理を分かっているか?
自分を分かっているか?
相手を分かっているか?
状況を分かっているか?
必要な知識を身につけているか?
必要な技術を身につけているか?

覚悟がないから至らない。
至らないから利用されることになる。
覚悟のない者は喰いものにされるのは当たり前。
そして、ボロボロになったら棄てられる。

そんな雑巾みたいになった惨めな男を
誰かが同情してくれるとでも思っているのだとしたら、、
それこそ笑ってしまう。笑


男なら、「騙された」と恨むのではなく、
自惚れの気持ちを抱いたまま相手を許してやる。
そもそも、騙す騙されるなんてことは、世の中に山ほど溢れている。

己の愚かさこそ反省し、自分の生き様を貫けるだけの力を蓄えるべきではないのか。


愚かな男に、
一体何ができるというのだ 笑






第417話◇呼吸から ••••••
「真人の息は踵を以ってし、衆人の息は喉を以ってす」(荘子内編 大宗師篇 第六)


人間は呼吸せずには生きられない。
しかし、余りにも当たり前すぎて、呼吸の明徳を明らかにすることを忘れてしまう。

「荘子」は、全身(踵まで)を使い、天地と合一して空気を肺に吸い込み、全身をその気で満たすと説く。

その効果は、自らの身体を活性化させ、その感情は四季が移りゆくように自然になるだけでなく、相手の呼吸をも感じ取り、その感情や体調をも見抜くことが可能となる。


そもそも、人間のこと万事は、喜怒哀楽の外にあるものはない。
そして、人間は呼吸をしながら喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。
様々な感情によって呼吸はその都度変化する。

そこに思い至れば、呼吸を通じて感情をコントロールすることも可能だと分かる。

だから例えば、心を落ち着かせるときは、座らせたり深呼吸させたりするのだ。
逆に、戦いの中で相手の呼吸を観察することにより、そのリズムや間合い、次の攻撃のタイミングを予測することが可能になる。


呼吸を会得することは、人間の活動の根っこを把握することである。呼吸をきっかけとして、様々に活動は展開していく。

呼吸は人間の原点であり、活動のきっかけでもある。


そして、その些細なきっかけが、自分を縛る大きな枷(かせ)を外すことにもなる。

枷が外れて分かることがある。
「世界は何と大きく、己は何と小さなことか」と。

よく物事が見えるようになれば気が付くことがある。
「何をそんなに恐れていたのか」と。

そして、「無私、誠、真心ほど強いものはない」と。